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- 北都銀行バドミントン部 川上選手インタビュー
慣れ親しんだ体育館とチームメイト。今日も体育館にはいつもと同じ音が響く。
2024年2月に引退を発表した川上選手。日本B代表を長年務め、2018年にはA代表として活躍。オリンピックを目指してきた。
秋田を離れる直前の日、川上選手のこれまでとこれからについて、お話を伺った。
「突然のお知らせになってしまったから驚かせたかも知れない」
そう話してくれた川上選手の言葉通り、彼女の引退発表に驚いたファンも多かったのではないだろうか。実は、川上選手がチームへ引退を伝えたのは2024年1月のこと。翌月の新聞取材での発表が一般公開となり、その2週間後には引退試合を迎えた。慌ただしい最後だったかもしれない。しかし川上選手は清々しく笑いながら「よくも悪くもがむしゃらな競技人生だった」と振り返る。
2017~18年にはA代表として活躍した川上選手だが、当時への思いはかなり冷静だ。
「多くの優勝の結果よりも、そこに至るまでの過程の方が思い入れが深いです。優勝はもちろん嬉しいし、その時は次も頑張りたいと思っていたけど、今は『過去の栄光』だと思っています」
試合中のプレーについてはあまり記憶になく、鮮明に覚えているのは試合後の観客席の様子なのだという。
「一番覚えているのはS/Jリーグの開幕戦、由利本荘大会での団体戦ですね。試合後、観客に向けてわっと手を挙げたその瞬間がすごく印象に残っていて、映像で覚えています。団体戦はコートに立っているのは自分1人だけど、戦っているのはみんな。勝った時の喜びが倍だし、余韻に浸れるから団体戦は好きでした」
試合中も応援の声は聞こえていたし、不安な時は心の支えになったそうだ。
中学・高校とバドミントン強豪校で競技中心の生活をしてきたからこそ、北都銀行での活動は新鮮だった。
「例えば特別支援学校の子どもたちにバドミントンを教える活動は、普段会うことのない子どもたちと交流できる貴重な機会でしたし、毎年みんなが大きくなっていくのが分かって嬉しかったですね。地域貢献活動もあるし、ジュニアチームもあるし、活動していくうちにやりがいや喜びを感じることができました。北都銀行でバドミントンをしていたからこそ多くの人に出会えたと思ってます」
選手にとって、所属するチームや監督との相性も大きい。
「自分の気持ちだけで突っ走ってしまいがちなんですが、もし他のチームにいたら自分を押し殺していたかもしれないと思うと、北都銀行でプレーできて良かったです。送別会では松本キャプテンから一番最後までわからなかったと言われましたが(笑)
がむしゃらさは自分の個性だと思っています。この性格だからできたこともあるし、できなかったこともある。でも過去に戻っても同じ選択をし続けると思う。こういう性格だからこそ北都が合っていたと思います」
引退した今、佐々木監督とは選手時代とは異なる立場で語り合うこともあるそうだ。
「選手時代は監督の言葉を100%吸収できないと悩んだ時期もありました。今だからわかるようになったこともあって、当時の自分がどう思っていたとかなどの話は振り返って伝えるようにしています。そういう深い話ができるのも今は楽しいですね」
引退を決断するに至るまではどのような気持ちだったのだろうか。
「正直、腰の状態がよくない中で痛みを誤魔化しながらプレーしていた時はかなり悩みました。目指しているところと現実の結果には差があると感じてもいて。応援してくれる方や、監督やスタッフにも申し訳ないし、万全でない状態で試合をせざるを得ない状況も嫌でした」
再びコートに戻る選択肢はあるのだろうか。一瞬宙を見上げた川上選手は答えた。
「いや……もう無理ですね。オリンピックレースを周り切りたかったし、最後コートに立てずに終わってしまい応援してくれた方へ申し訳なかったとも思います。でも休んだからといって良くなるかどうかはわからない状況だったし、自分がどこまで頑張れるか自信もなかった。ですが、目の前のやるべきことに集中して、その時の自分と向き合って、その時の最善を尽くせたと思っています。やり切ったという気持ちが強いです」
セカンドキャリアを大事にしたいという漠然とした思いも少なからずあったそうだ。
どれだけ頑張ってもバドミントンで生き続けるのは難しいと考えていましたし、30歳まで続けているイメージもなかったし、考えてもいなかった。自分の年齢を考えればバドミントンに限らずまだまだいろんなことに挑戦できると思っているので、たくさんチャレンジしていきたいです」
小学生時代から好奇心旺盛で、バドミントンと違うことやってみたいという気持ちは常にあった。
「憧れが強いタイプなんです。幼稚園の頃は、バレエをやっている子に憧れてずっとつま先で歩いていたこともあるし、キャリアウーマンのドラマを見ればそれになりたいと思ってました(笑)今はバックパッカーに憧れていて、いつかやってみたいと思っています!」
バックパッカーとまではいかないが、引退後はお母様と東南アジアを巡る旅を予定している。選手時代は全く観光ができなかったこともあり、巡ってみたい世界遺産が国内海外問わずたくさんあるという。
「北都銀行での地域貢献活動を通じて知らないことがたくさんあるなと思いました。海外旅行をはじめとして、いろんなことをやってみたい気持ちが今は強いです」
そう語る川上選手には別の憧れも。
「アルバイトをしてみたいです。これからの人生も学びだと思っているので、社会勉強という意味でもアルバイトをしてみたい。いろんなことを学びたい、知りたいですね」
競技を引退し外からコートを見るようになって、感謝の気持ちが強くなっている。
「プレーできるのはやっぱりすごく幸せなことだと思う。バドミントンには良い記憶も悪い記憶もあるけど、今は感謝の気持ちが強いです。
『もし怪我がなければもっと全力で練習できたかな』『監督とも、もっと違う話ができたかな』と思うことはあります。でも、怪我があったから自分自身と向き合えたし、他の人のこともよく見えるようになりました。当時は怪我を良いように捉えることはもちろんできませんでしたが、怪我に苦しんだ時期も自分にとって無駄ではなかったんだと今は思えます」
怪我のことも含め、それが今の自分だと言い切れる。バドミントンに真剣に向き合ってきた証なのだろう。川上選手にとっての引退は、むしろ始まりなのかもしれない。
「はっきりと決まっているわけではないですが、少しのんびりして、お世話になった人にも会ったりもしたいですね。急がず、ゆっくりと方針転換していきたいと思います」
川上選手のセカンドキャリアはもう動き出している。