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- 秋田ノーザンブレッツ初代監督 新出康史さんインタビュー
2022年9月17日に開幕した社会人ラグビー・トップイーストリーグA。前年度リーグBを制し、入れ替え戦に圧勝して昇格を決めた秋田ノーザンブレッツは昇格の勢いをそのままに各試合全力で挑むも、結果は5位。2022年12月に行われた入れ替え戦には勝利し、リーグA残留を決めての幕引きとなった。そんな2022シーズンを、新出康史氏はこう振り返る。
「リーグがひとつ上がると、当然レベルも上がるので難しい。そこでの戦いにある程度慣れるまで、どうしても時間がかかります。久々に行くスキーと似ているんですが、最初は足がすくんで滑れないじゃないですか。けれど、シーズンを通じて何回も滑って行くと急斜面でも臆することなく滑れるようになる。それと同じで、リーグが上がるときは思う様に出来ない。けれど、身体や目が慣れてくれば、しっかり戦えるようになります」
引き続きリーグAでの戦いとなる来季への期待を滲ませつつ話してくれた新出氏は、秋田ノーザンブレッツ初代監督。クラブチームの設立に当たっては中心となって尽力した人物でもあり、現在は理事としてチームを支えている。
秋田ノーザンブレッツが設立されたのは2004年(平成16年)だが、その歴史は昭和の時代まで遡る。1958年(昭和33年)に「秋田市役所ラグビー部」として創部されたのが始まりだった。ラグビーの名門・明治大学出身の新出氏も、秋田市役所ラグビー部の選手として活躍していた。
(写真)1985年新出さんが秋田市役所に入所した年、全国社会人リーグ1回戦神戸製鋼戦での新出さん
「僕が秋田市役所に入ったのは1985年(昭和60年)。当時のラグビーの全国大会は、東北代表、関東代表、という形で全国の代表を16チーム集めたトーナメント戦が実施されていました。東北ブロックの出場枠は1つしかないんですが、新日鐵釜石という強豪チームが岩手県にあり、秋田市役所ラグビー部はそこになかなか勝てなかった。釜石が優勝した翌年は、優勝チーム枠の他に東北にもう1つ出場枠ができるため、その枠で全国大会に出場していました」
新日本製鐵釜石製鉄所ラグビー部は1979年から85年にかけて全国大会7連覇という成績を残していた岩手県の強豪チームだ。その強さから、当時は「北の鉄人」とも呼ばれていた。
「圧倒的な強さを誇った釜石が同じ東北にいる中で1度だけ、1986年(昭和61年)、前年度準優勝だった釡石に東北予選で勝利しまして。その年は単独枠で全国大会へ出場し、ベスト8入りを果たしました。
当時の全国大会は年末から正月にかけての日程で行われていて、釜石は東京へ合宿に行って練習していたんですが、我々秋田市役所に東京合宿は出来ません。その上、日の入りが早くなる11月にはナイターが使えなくなってしまい夜間の練習もできず、朝の5時から練習して、12月に入れば雪も降ってきて……釜石に勝ったのはそんな環境で練習をしている頃だったので、なかなかでしたね」
厳しい条件の中で強豪・新日鐵釜石に勝利した秋田市役所ラグビー部。全国社会人大会に8回出場、ベスト8に4度も入る好成績を残し、全国にその名を轟かせた。
しかし、1988年(昭和63年)に東日本社会人リーグが発足された頃から、少しずつその勢いを失っていく。
「東日本社会人リーグは今で言うリーグワンで、東日本の一番強いリーグでした。日本を3地域に分けてリーグ戦を行い、その中の上位チームがトーナメントを行うというのが当時の仕組み。秋田市役所ラグビー部も東日本社会人リーグに入っていたんですが、選手補強ができず徐々に戦力が落ちていきました」
秋田市役所ラグビー部は公務員のチームのため、公務員試験を突破しなければ選手として所属することができない。当時は非正規雇用者の出場は認められておらず、選手集めは難航した。更に行政改革で採用が絞られると選手の補強は一層難しくなる。
低迷期を脱せないまま時は過ぎて行き、1993年(平成5年)、東北社会人リーグに降格。東日本社会人リーグの在籍は6シーズンだった。
(写真)1993年5月22日 秋田県ラグビー70周年記念 サントリーVS秋田市役所
「リーグ降格したのは僕が30歳くらいの時でした。その年齢になる頃には現役を引退するつもりだったんですけど、上位リーグに復帰するまでは責任をとって辞められないなと。けれど結局、釜石との入れ替え戦に3年連続で勝つことができず、上位リーグに上がることはできないまま、34歳で現役を引退しました」
現役引退後、新出氏は秋田市役所ラグビー部の監督に着任する。その在任期間中に各地域リーグと全国社会人ラグビーフットボール大会が発展解消し、トップリーグが作られた。リーグはその後も、現在の形に至るまで数度再編を繰り返す。
「トップリーグ発足後はその下の東北リーグに所属していましたが、チームの減少に伴いそれが無くなった。次はトップイーストリーグに合流して……そんな風に環境が色々と変わっていく中で、秋田市役所ラグビー部は相変わらず選手が集まらない。このままだと先がないということで、誰でも参加できるクラブチームを作ろうと考えました」
それは、秋田市役所ラグビー創部50年まであと5年、というタイミングだった。
「その時、創部50周年まで監督を頑張れと言われましたたが、5年も待ったら潰れてしまう、と話しをして」
こうして秋田市役所ラグビー部は、クラブチーム化へ向け大きく舵を切る。
「当時の商工会議所の役員や市役所ラグビー部OB、経済界にもお願いして、幅広くお金を拠出して頂き運営できるようなクラブチーム、秋田ノーザンブレッツを2004年に立ち上げました」