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- 秋田ノーザンブレッツ初代監督 新出康史さんインタビュー
周囲の人々や企業の理解と支えを受けその熱い思いを実現し、クラブチーム化を果たした新出氏。その背景にはある考えがあった。
「学校や企業単位でスポーツをする日本の形は世界でも珍しいものです。戦後の日本におけるスポーツ強化の流れで出来上がったもの。結束力があり良い面もあるのですが、世界に目を向けた時にそれで良いのかと。
欧米では地域のクラブチームがあって、そこに企業や地域の方がお金を出してクラブを運営しています。複数の競技が出来るクラブがあったり、地域の人が参加できる組織があったり。日本でも総合型スポーツクラブを作ろうという流れもありますし、これからは学校や企業だけが単独でスポーツをする時代じゃないなというのが私の考えです」
その考えのベースになったのは、ラグビー日本代表選手として活躍、日本代表監督も務め、日本のラグビー界に大きな実績を残した人物……平尾誠二氏の言葉だったと新出氏は話す。
「大学時代、僕のいた明治大学と平尾のいた同志社大学はライバルで。交流するようになったのは社会人になってからでしたが、彼の影響はものすごく受けました。
企業のスポーツ部を広告塔として考えるチームはダメだ。人づくりや地域の活性化、そういう方向でスポーツチームを運営していかないといけない。そう彼に教えられた」
平尾氏の考えから影響を受け、秋田のラグビー界の未来を繋ぐべくクラブチーム設立を果たした新出氏は、秋田ノーザンブレッツ初代監督に着任する。
(表)秋田市役所ラグビー部と秋田県のあゆみ
(写真)2007年(平成19年)秋田わか杉国体優勝時の記念写真
「秋田ノーザンブレッツの監督は3年やりました。その時はゼネラルマネージャー(GM)もいなく、選手の勧誘からスポンサー獲得、グランド整備まで僕1人でやりました」
念願叶いクラブチーム化はできたものの「このままでは絶対に強くなれない」と感じた新出氏はスタッフの確保に奔走する。監督を引き受けてくれる人物は見つかったが、選手勧誘やスポンサー交渉などの裏方の業務を引き受けてくれる人材はなかなか見つからなかった。
「そこで、僕がGM職に専念することにしました。秋田ノーザンブレッツに来て4年目に監督を置いて、僕はGMを10年続けました」
2018年にGMを新たに迎え、新出氏はGM職を引退。今は理事のひとりとして選手の獲得や強化に力を注ぐ一方、U21日本代表を率いた花岡伸明氏をチームディレクターに迎えるなど、チーム力の向上のために邁進する。
「チーム力の向上は常に課題のひとつ。次のシーズンに向けての強化も今、古屋GMと二人三脚でやってます。U20日本代表に選ばれたことのある児玉選手の加入に加えて、新卒の良い選手も獲れそうです」
昭和の秋田市役所ラグビー部の時代から今の形に至るまで、新出氏と共に秋田のクラブチームとしての地盤を着々と築いてきた秋田ノーザンブレッツ。来たる2023シーズンに向けて練習に打ち込み、日々汗を流す選手たちへと向けられた新出氏の眼差しには、熱い期待が込められている。